突発性難聴と向き合うこと

突発性難聴(急性感音難聴)の記録です。

12_服用していた薬まとめと睡眠導入剤の留意点

退院後から一ヶ月に一度ほど通院をしました。

病院では、聴力検査の後診察をして薬をもらって帰宅するという流れです。

 

基本的には突発性難聴経験者が服用する薬と概ね変わりません。

アデホスコーワ→血流を良くする薬

・メコバラミン→ビタミン剤

 

私の場合はイソバイトシロップは処方されませんでした。何をもって処方するのかしないのかどなたかご存知の方がいらっしゃったら参考として教えていただきたいです。

 

上記二つがどのように効果があったかは正直不明です。数字で見る聴力は退院時から大きな変化がないからです。思うに、発症原因不明が故にこれといって服薬すべき薬がないのだと予想します。

 

そしてそこに追加して、メイラックスという睡眠導入剤を処方してもらいました。今日はこのメイラックスについて私個人の意見をまとめます。

 

メイラックスの説明についてはこちら↓

 

くすりのしおり | 検索結果詳細

 

私は耳鳴りが気になって寝付けなかった為処方してもらいました。お陰で寝不足ということはありませんでした。

 

ちなみに今ではメイラックスを使わずに普通に寝付くことができます。耳鳴りに慣れたからです。

 

さて、私が留意点としてまとめたいのは

 

メイラックスを処方されると生命保険にすんなり加入(継続)出来ないかもしれない」

 

ということです。

 

これは私の体験ですが、かんぽ生命に加入しており、満期を迎えて継続申請をした際に突発性難聴を発症したことと、メイラックスを処方されたことを告知書に記載しました。

 

結果として、加入の継続は出来ましたが一部の特約を付けることができませんでした。

これはメイラックスが精神の不安を抑えるための薬として分類される為、保険会社側の何かしらの判断基準にされているからだと思います。

 

もし、「耳鳴りが気になって寝付けないなぁ」という方は本当に必要なのか一度考えてみても良いと思います。

 

私は退院直前の耳鳴りがジェット機並みだった為、服用していたことに後悔はありません。

 

耳鳴りで睡眠導入剤を考えている方の参考になれば良いなと思います。

11_退院後休職中の過ごし方

私は突発性難聴を発症し、入院中にステロイド治療を行って、完治しないまま退院しました。

聴力は完全には戻りませんでしたが、今は復職し、特に不便を感じることなく生活することができています。

 

さて、この「日常」を取り戻す前、退院から復職までありがたいことに一ヶ月も仕事を休ませてもらいました。今回はこの一ヶ月の間に私がどのように過ごしたかをまとめたいと思います。

 

① 母のサポートを受けた

発症までは一人暮らしをしていましたが、実家から母が来て、食事やその他のことを手伝ってくれました。これは精神的にもかなり安心感があり、予後の回復に直結したかどうかは不明ですが、ストレスから解放されてとても穏やかに過ごすことができました。

母でなくても会話の相手が居ることは社会復帰の一助になるのではないでしょうか。

 

② ウォーキングをした

入院中に読んだ経験者の方のブログに、突発性難聴のリハビリにはウォーキングが良いという内容のものがあり、筆者の方はそれで聴力が上がったのではないかと感想をおっしゃっていました。

結果として、私の場合は、ウォーキングをする前後で聴力の変化はありませんでした。

しかし、運動不足の解消と気分転換にはとても良いことだったと思います。

 

聴こえ方の点で言えば、

 

・川の音がうるさく聞こえる。

・鳥のさえずりが悪い方の耳では聞こえない。

・後ろから近づいて来る自転車の音は聞こえる。しかし、車道の音がうるさいと気づかない恐れがある。

 

など、環境音の聴こえ方によってその後の生活をイメージすることができました。

最初の頃は「やっぱり聞こえない」ということに毎回落ち込んでいましたが、次第に上記のように今後の生活を考えるきっかけになりました。

 

③飲酒を控えた

これは「より健康的に過ごす」という目的もありますが、明確な理由としては睡眠導入剤を処方されていたからです。

耳鳴りにまだ慣れていませんでしたので、睡眠時に耳鳴りが気になりなかなか寝付けなかった為、処方してもらいました。

 

 

 

 

意識していたのはこれくらいです。

共通することはストレスを感じることをしないことです。

予後の生活では自分自身何が正解か分からずとても神経質になってしまいます。

今になってみれば「これが正解」というのはありません。ストレスから離れて好きに過ごすことが一番良いことだと思います。

 

 

 

 

 

 

10_読書の記録_「錦繍」から人生の癌について考える

私の場合、退院してからも体の調子が悪く、すぐに仕事に復帰することができませんでした。幸い会社からこちらが申し出た分だけ休みをもらうことができ、日常生活に慣れるためのリハビリ生活を2週間ほど設けました。(具体的に何をしたかはまた別の記事にします。)

 

このリハビリの間、時間がある故にたくさんのことを考えました。これからの人生のことや家族のことなどが主でしたが、元々のマイナス思考に拍車がかかり、ストレスが原因で発症したのに、性格がますます神経質になってしまいました。

 

主に考えていたことは、「耳が悪いことで不利益を被るのではないか」という不安についてです。

 

発症前のように仕事は出来ないのではないか

賑やかな場所には行けないかもしれない

差別されたりはしないだろうか

 

このような考えがグルグル巡り、最終的には「耳さえ悪くならなければ」と考えてもどうしようもないことを思ってしまうのです。

 

その様子を見ていた母が「どうせ時間はあるのだから」と本を勧めてくれました。

 

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宮本輝氏が書いた「錦繍(きんしゅう)」という小説です。

 

内容(「BOOK」データベースより)
「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」運命的な事件ゆえ愛し合いながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る―。往復書簡が、それぞれの孤独を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。

 

ぎゅぎゅっとまとめにまとめると、「とある事件をきっかけに離婚した夫婦が再会し、文通をする話」です。

 

誰もが幸せと評価するような夫婦だったふたりが、離婚後はそれぞれ胸を張って幸せとは言えない、所謂不幸な人生を送ります。文通を通して、なぜ離婚するに至ったのか、なぜその後の人生が不幸になってしまったのかを互いに打ち明けます。

 

ふたりに共通することは「あの事件さえなければ」という後悔の念です。夫婦は事件を許すことが出来ず、いつも心の中に凝り固まった癌のようにその後悔が居座っていますが、ラストは文通を通してその癌を凌駕するような暖かい情を互いに抱いて物語が終わります。

 

物語の中に、不幸な人生にやさぐれた男が友人と酒を呑む場面があります。男の友人は医師で、べろんべろんに酔っ払いながら自身の研究について男に講釈を垂れるのですが

 

「癌は自分自身や。癌を消すには、自分が死ぬしかないんや。」

 

と言い放ちます。

 

この台詞は、友人の言う「癌」が男にとっての「あの事件」であることを表現しているのだろうと思うのですが、この台詞に私の心がガツンとやられました。

 

私にとっての「癌」は紛れもなく突発性難聴の後遺症でした。台詞を私に当てはめると、突発性難聴の後遺症を失くすには、死ぬしかないのです。

 

字面のみ見るととても悲観的な表現ですが、私はこの台詞によって胸がすっとしました。

後遺症と闘わなくても良いのだ、後遺症も私自身なのだと受け入れられた瞬間でした。

 

実際、現在は耳のことで不便を感じることはたまにありますが、そのことで悲しくなることはほとんどなくなりました。月並みですが、この本を読んで本当に良かったと思います。

 

この記事を読んでいる方にもきっと多かれ少なかれ人生の癌があるのではないでしょうか。

難しいけれど、癌を許せたらきっと楽ですよね。

 

それにしても、大人になってからの方が読書によって思いもよらない感情にぶち当たることが多いです。

それだけまだまだ未熟ということなのでしょう。

 

 

 

錦繍 (新潮文庫)

錦繍 (新潮文庫)

 

 

 

9_オージオグラムから見る予後の記録

発症からもう少しで3ヶ月が経とうとしています。

突発性難聴は1週間の治療の効果で予後がほぼ決まり、その後は大きな変化はなく、聴力は3ヶ月で固定すると言われています。

 

 

ここで、発症から直近まで私の聴力がどのように変化しているのかまとめたいと思います。

 

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画像の加工が適当で申し訳ありません。

これは搬送先の病院(土日に搬送された上に耳鼻科がなかった)から大きな病院に転院した際のオージオグラムです。検査時は発症からちょうど48時間ほど経っていました。

 

まず、オージオグラム(右側の折れ線グラフ)についてですが、縦軸が音の大きさ(下に行くほど大きな音)、横軸が音の高さ(右に行くほど高い音)です。

○が右耳、×が左耳で、左右それぞれ別の線グラフで聴力を示しています。

 

私は、「左耳が高い音になるほど、大きな音でないと聞き取れない」ということがわかります。

 

そのことを踏まえて、直近のオージオグラムまで順に見ていきます。

 

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ステロイド治療を始めてから500㎐〜2000㎐の聴力がぐんと上がりました。それ以上は発症時のままです。

 

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ステロイド治療で効果の見られた、500㎐〜2000㎐の聴力が正常値まで回復しました。それ以上は大きな変化はありません。

 

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大きな変化はありません。

 

現在も大きな変化はないと思われます。

このことから、1週間の治療で予後がほぼ決まるという情報は概ね正しいと考えます。

 

 

 

 

 

 

 

8_退院と予後についての感想

10日間の入院を経て、無事退院することができました。

後ほど検査結果をまとめた記事を書きたいとおもっていますが、退院したときも、やや改善したとはいえ聴力は落ちたままです。

なんとか

歩くことはできても駅などの音が四方八方から鳴り響く空間に居ると、ふらふらしてきます。

 

手足の先がひんやりしてきて、視界がもやもやし始めました。息があまりできなくなり、ベンチに座ったまましばらく動けませんでした。

 

治療はこれからも続くのだなとその時に強く思ったのを覚えています。

 

さて、検査の経過と、予後の回復経過は後ほど記事にするとして、この年齢で初めて完治しない病気を患った者として、初めての感情に出会いました。

 

突発性難聴になってから常に「一生このままなんじゃないか」という恐怖を心のどこかに持っています。 

 

一生めまいが止まないのではないか

一生吐き気が止まらないのではないか

一生人混みに行けないのではないか

一生聴力はこのままなのではないか

 

でも、今の所ひとつひとつ完治はせずともクリアしています。

後遺症が残っても、案外慣れたり、対策を自分で出来るものです。

 

発症しないことがもちろん一番良かったと思います。でも、同時に人間の順応力にポジティブな感情を見出すことも最近は増えました。

 

一時は寝返りのたびに嘔吐していたのが、仕事に復帰することもできました。これは本当に喜ばしいことです。

 

 

 

7_発症7日目〜10日目

【発症7日目/入院5日目】

朝の検温36.7
耳の詰まった感じなし
キーンという耳鳴りがする
平熱になったからかすこし聞こえがいいような??

昨日熱があるのでアイスノンをもらったが、耳を冷やすと詰まった感じが増すような気がしたので今後はやめる

 

この日の前夜に熱が上がったのでアイスノンをもらったのですが、急に耳の詰まった感じが増したのですぐやめました。

突発性難聴は内耳の血流が悪くなることで悪化するという説もあるらしいので、冷やすと良くないのかもしれません。

 

この日の夜に耳鳴りがまた変わりました。

鈴虫のような音から、キーンという飛行機が飛んでいる音のような高い音に時々切り替わるようになりました。

 

【発症8日目/入院6日目】

の検温36.8
耳鳴りはキーン6 すずむし4
頭を振るとグラグラするが
だいぶ歩けるようになった

少し聴こえ方になれた気がする

 

この日から耳の詰まった感じはまったくなくなりました。耳鳴りは朝の段階では上記の通りでしたが、昼過ぎには鈴虫の音は消え、キーンが

四六時中なるようになりました。この耳鳴りが一番不快です。

ただ、日々歩けるようになり、周りの生活音にも慣れてきました。

この日は治療の効果を早く見たいのと、いまの自分の耳がどのようなことになっているのか客観的に知りたくて、「はやく聴力検査をしたいな」と思っていました。

 

 

【発症9日目/入院7日目】

朝の検温36.7
耳鳴りがやばい
ふらつきは日に日に良くなってるきがする

 

メモ書きですから「耳鳴りがやばい」というざっくりしたものになっていますが、ほんとにやばかった。

左耳のすぐそばでジェット機が飛んでるような音が四六時中聞こえます。

一生こうだったら気が狂ってしまうと思いました。

 


【発症10日目/入院8日目】

耳鳴りは聴力上がるにつれ楽になるといわれほっとした
10時頃退院
耳鳴りはいまだなりっぱなしでつらい
視線が定まらない感じ
歩くと音がどこからくるのか分からなくて気持ち悪い
でも歩けるようになってほんとによかった

 

耳鳴りが不安だったので、主治医に相談したところ、聴力が上がるにつれて耳鳴りは軽くなると言われました。実際、その後この時より酷い耳鳴りは経験していません。まだ、鳴りっぱなしですがある日突然消えるものではないので、なるべく耳鳴りに気を取られないようにしています。

6_ストレスをためるということ

突発性難聴の詳しい記録は次にするとして、今日はストレスをためることについて思ったことをまとめます。

 

私は発症当時27歳で、女性です。

結婚はしておらず、正社員としてフルタイムで働きながは一人暮らしをしていました。

 

精神的に余裕があったかと問われると、今になって省みると、なかったと思います。

 

いつも何かに追われているような焦った感じがありました。ただ、それは今になって思うことです。その当時はそれほど自分の仕事が大変とは思っていませんでした。

なぜなら、世の中にはもっと仕事が忙しくて、もっと悩んでる人がいるから、文句など言ってはいけないと思っていたからです。

 

しかし、まだ症状がひどくなる前の発症時、すこしめまいがすると気づいたとき正直「これで仕事やそのほかの悩みを投げ捨てて少し休めるかもしれない」と思いました。

周りばかりを気にして、自分のことを無視していた証拠です。

 

今思えば、疲れてるときは周りがなんと言おうと休めば良かったし、何か悩みがあるなら周りに何を言われようと言えば良かったのです。

 

自分がつらいと思うこと、嫌だと思うことを認めることが出来ないというのは、自分を大切に出来ていないことでもあるのだと、ごく当たり前のことなのに今更気づきました。